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大阪高等裁判所 平成6年(う)854号 判決 1995年6月20日

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮六月に処する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

原審及び当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、検察官遠藤太嘉男作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人杉本金三作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、要するに、原判決は、本件業務上過失傷害の公訴事実について、目撃者及び被害者の供述に十分信用性があり、これらの証拠によって被告人の過失の点を含む右公訴事実は優に認定することができるのにもかかわらず、証拠の評価・取捨選択を誤った結果、右目撃者及び被害者の供述の信用性を否定する一方、被告人の供述についてはあながち虚偽とはいえないとし、結局、検察官が主張する「被告人が赤信号に従わずに交差点に進入した過失」があったとの事実は証明がないことに帰するとして無罪の言渡をしたから、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。

そこで、記録を調査し当審における事実取調べの結果を併せ検討し、以下のとおり判断する。

一  本件公訴事実、本件の争点

1  本件公訴事実は、

「被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、平成四年一二月二四日午前零時五五分ころ、普通貨物自動車を運転し、大阪府和泉市芦部町一五五番地先の交通整理の行われている交差点を南西から北東に向かい直進するに当たり、同交差点の対面信号機が赤色信号を表示していたから、これに従い同交差点手前の停止線直前で停止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、右赤色信号に従うことなく時速約二〇キロメートルで同交差点に進入した過失により、折から、右方道路から同交差点に向け青色信号に従って進行してきたA(当時二四歳)運転の普通貨物自動車(軽四)を衝突直前まで気付かず、同車前部に自車右側面を衝突させ、よって、同人に対し、加療約三六日間を要する前頭部擦過傷等の傷害を負わせたものである。」

というのである。

2  関係各証拠によると、本件事故現場は、南東から北西に走る車道の幅員約六メートルの府道泉大津粉河線と北東から南西に走る車道の幅員約五・四メートルの道路とが直角に交わる公訴事実記載の場所の信号機により交通整理が行われている交差点(通称阪本町交差点、以下「本件交差点」という)内であるところ、道路及び信号機設置の状況は、原判決別紙1の交通事故現場見取図のとおりであり、交差点の信号周期は一周期七〇秒で、原判決別紙2の信号サイクル表のとおりであったこと、公訴事実記載の日時ころ、南西方向から直進して本件交差点に進入した被告人運転の普通貨物自動車(四輪駆動のトヨタランドクルーザー、以下「被告人車」という)の右側面と、府道泉大津粉河線を南東方向から直進して本件交差点に進入したA運転の普通貨物自動車(軽四輪のダイハツミラ、以下「A車」という)の前部とが出合頭に衝突し、A車は、車首を右に振って北方に向けた状態で本件交差点内に停止し、被告人車は、車首を一八〇度回転させた状態で南方に向けて本件交差点の北角付近に停止して、その衝突の衝撃で右Aが公訴事実記載の傷害を負ったこと、右交通事故のころ、Bが運転しC子が助手席に乗車する普通乗用自動車(コロナマーク[2]、以下「B車」という)が府道泉大津粉河線をAとは逆の北西方向から直進してきて、本件交差点に進入する手前で本件事故に遭遇したこと、以上の事実が明らかに認められる。

3  被告人は、捜査公判を通じて、本件交差点手前の停止線を越えて進入する際、対面信号は青色であったと供述し、一方、被告人車と衝突したAは、自分の方こそ対面信号が青色のときに交差点に進入したもので、当然被告人車は赤信号で交差点に進入したと主張しているので、本件の争点は、被告人車が交差点に進入したとき対面信号機の表示がどのようになっていたかということである。そして、原判決は、結論として、被告人の右供述はあながち虚偽とは決めつけられず、被告人車が交差点に進入した際の対面信号が赤色であったとの点について十分な立証があったとはいい難いとしているものである。

4  ところで、右信号機の表示等については、客観的証拠が存在しないので、被告人及びAの供述、更には本件事故を目撃したと思われる前記B及びC子の供述の信用性を慎重に検討する必要があり、原判決もその観点から関係者の供述を検討しているので、以下同様に検討を加えることとする。

二  B、C子供述の信用性

1  前記のとおり、B及びC子は、たまたま本件事故に遭遇した第三者であるので、右両名の供述は重要である。

Bは、原審証人として、本件事故の目撃状況につき、「コロナマーク[2]を運転し、恋人のC子を助手席に乗せて北西方向から時速約四〇キロメートルで本件交差点に向かって近づき、C子を家に送るため同交差点を左折しようとしたが、交差点の約七〇メートル手前で対面信号を見ると赤色だったので、徐々に速度を落とした。交差点の約五〇メートル手前に来たとき、C子が『あっ、四駆や』と声を出したので、右前方を見ると交差点の右方道路沿いに四輪駆動車(被告人車)がちらっと見えた。そして、赤色の対面信号に従って停止線の手前で停止した。停止中には右方道路や右四輪駆動車の方は見ておらず、対向車線には対向車(A車)があったが、その車が止まっていたか走っていたかは分からない。停止後四、五秒位で対面信号が青色に変ったので発進したところ、右方道路から四輪駆動車がかなり早い速度で飛び出してきたので、危ないと思いブレーキを踏んで停止線を越えて停止したが、ほぼ同時ころ、交差点の中央付近で四輪駆動車と対向車が衝突し、四輪駆動車はこっちの方まで飛ばされてきた。」と証言する。

一方、C子は、同じく原審証人として、「Bの車の助手席に乗って時速約四〇キロメートルで本件交差点に向かっていたが、交差点の約五〇メートル手前で右方道路の塀沿いに四輪駆動車(被告人車)が止まっているのが見え、以前から四輪駆動車に興味があったので、Bに『四駆や』と言った。その後、Bの車が停止線の手前に来たとき、何げなく交差道路の信号機(原判決別紙1の丙信号)を見ると黄色であったので、交差道路の信号はすぐ赤に変るから、Bは絶対止まらないでそのまま左折して行くだろうと思っていたが、Bは減速して停止線の手前で停止した。停止後四、五秒してBの車は発進したので、対面信号を見たら青色になっていた。Bの車は発進したがすぐに止まり、そのとき右方から四輪駆動車が結構早い速度で交差点に入ってきて、南東方向から対向してきたA車と交差点の中央付近で衝突した。はじめに止まっているのを見た四輪駆動車がその後どうしたかは、見たかもしれないが覚えておらず、交差点に入ってきて視野に入り、すぐ次の瞬間衝突したという感じである。」と証言する。

以上青信号になって発進したというB及びC子の供述に信用性があるとすれば、必然的に交差道路から本件交差点に進入してきた被告人車の対面信号は赤色であったことが認められることになる。

2  まず、本件で最も重視すべきことは、B及びC子は、本件事故に遭遇するまで被告人及びAとまったく面識を有していなかったばかりでなく、本件後においても、Aが捜査段階及び原審において、Bら目撃者と事故直後以来会ったことはなく、名前すら知らないと供述するように、被告人及びAの双方に利害関係を有しない純然たる第三者であるということである。そのうえ、各証拠によると、B及びC子の両名は、本件事故を目撃するや、BがC子に命じて一一九番通報をさせる一方、運転席でぐったりしている被告人に大丈夫かと声をかけ、背中をさすって介抱したり、頭から血を流して車から出てきたAに事故の状況を説明したりし、また、C子は、勤務先に連絡しなければならないと訴えるAのために、付近の知人方からコードレス電話を借りてきて電話させるなどし、さらに、右両名は、救急車に収容される被告人から、「演習場の道沿い(北東方向)に彼女が立ってるから帰れと伝えてくれ」と依頼されるや、三回にもわたって周辺を捜し回るなどして、被告人及びAのため親切心にあふれた行動に出たことが認められるのであって、いわんや右両名が被告人に対し悪感情を抱いた形跡はまったくみられない。

以上によると、B及びC子が、あえて作為的に虚偽の事実を供述する事情はまったくうかがわれない。この点について、原判決が、弁護人の、「B、C子の証言は、Bが信号無視をしようとした事実を隠すために虚偽の供述をしている可能性が高い」との主張に対し、結局Bは信号無視をせずに停止しているのであるから、本件事故が起きるのに何の影響も与えていないとして、弁護人の主張を排斥しているのは正当である。

3  また、B及びC子の原審における証言内容は、一部において記憶の減退等による不明確な点はみられるものの、覚えていない点は覚えてないと供述する反面、供述する事実関係は前記のとおりおおむね一致しており、供述内容に特段不自然な点はみられない。右Bの証言は本件事故の一年近く後になされ、また、C子の証言は一年二か月余経過してからなされたものであるが、証言時点においても、信号待ちをしていて青信号で発進直後に衝突事故を目撃したという本件の非日常的な事件は十分記憶に留まっていたと考えられる。

のみならず、当審で取り調べた証人Dの公判供述及び平成四年一二月二四日付け実況見分調書(原審において一部取り調べられたもの)によると、Bは、事故直後警察官によりなされた実況見分の立会人として、原審の証言内容と同旨の事故状況を指示説明していることが認められ、記憶が一貫して保持されていたと考えられる。

また、C子の原審証言については、「Bの車が停止線の手前に来たとき、交差道路の丙信号を見ると黄色であったので、Bは絶対止まらないで左折して行くだろうと思っていたのに停止したので、印象が残っている。」との供述部分があり、この供述は、原判決も認めるように、真実体験したのでなければ供述し得ない臨場感に富む特徴的な供述であると認められるとともに、同人は意識して信号を見ていたものと思われ、同人の記憶が正確に保持された事実を物語るといえる。

4  ところで、原判決は、「被告人の方が赤信号で入ったというB及びC子の証言の信用性は揺るがないようにも見える」としながら、(1)現場の道路及び前照灯等の状況からすると、Bは、普通なら交差点に接近して進入しようとするまでに、被告人車が交差点に近づくのが分かるはずであるから、対面信号が赤色であったため停止したのではなく、被告人車が接近してくるのを見て停止したのではないかと強く思わせる、(2)C子の「丙信号が黄色だからBは絶対行くだろうと思っていたのに、止まったので記憶に残っている」との前記証言からしても、行き止まりの右方道路からは深夜車が進行してくることがまずないことから、Bの運転方法として丙信号が黄色ならそのまま赤信号で左折することが日常的になっていたのではないかと思われ、それであるのにBの車が止まったということは、Bが交差点付近に接近してきていた被告人車を見て停止したのではないかと思わせる、(3)被告人車は、B、C子が最初目撃してから間なしに発進したと認められるから、右両名の証言によると、被告人車が発進してから本件交差点に進入するまでの時間と、Bが被告人車を最初目撃してから次に同車に気付くまでの時間とに矛盾が残る、などの疑問点を挙げ、B及びC子証言の信用性に疑問があると説示している。

しかしながら、まず右(1)については、前記のとおり、B及びC子は、いずれも最初被告人車を目撃してから衝突直前まで被告人車が接近してくるのに気付かなかったと証言しているところ、原判決は、現場の見通しのよい道路状況や被告人車が前照灯をつけていたことなどからすると、Bらが被告人車の接近に気付かないはずはないと述べている。しかし、確かに現場の道路状況等は原判決が述べるとおりであったとは認められるものの、Bらは、信号機により交通整理の行われている交差点に近づき、そこを左折しようとしたのであるから、通常対面信号機や進路前方、及び場合によっては左折する方向の道路及び交通の状況には十分注意を払うものの、右前方の交差道路の状況については、一旦被告人車を認めたとしても、その後の動静に注意を払う必要はないのであり、さらに、同交差点には同様に前照灯をつけたB車とA車も接近しつつあったのであるから、Bらが、本件事故直前まで、被告人車の動静に気付かないか、気付いたとしても記憶に残らなかったとしても、あながち不自然であるとはいえない。B車は、通常のとおり対面信号の表示に従って交差点手前で停止したとみる方が自然に合致しているものと考えられ、原判決のこの点に関する理由付けは正当とは思われない。

次に(2)については、C子自身、Bが丙信号が黄色であると左折することがよくあったわけではない、と供述しているうえ、前記証言は、丙信号を見たときC子が一瞬感じたことを正直に供述しただけであるとみる方が妥当であるから、証言の一部をとらえて、普段からBが丙信号が黄色であると対面信号を無視して左折していた事実を推認することも、いわんや本件のとき対面信号を無視して左折しようとして被告人車の接近に気付いて停止した事実を推認することもできないと考えられる。

さらに(3)については、原判決は、刑訴法三二八条書面として取り調べたC子の平成五年二月五日付け警察官調書(一部分のみの写し)等を根拠にして、被告人車は、B、C子が目撃してから間なしに発進したものと認められる、としている。しかし、弾劾証拠として取り調べた書面、それもその一部分をもとに右のような事実を積極的に認定することが許されるか否かは別としても、右供述調書の該当箇所は、「私は、運転していたB君に『四駆や』と声をかけ、そのままこのランドクルーザーの方を見ていたところ、このランドクルーザーが駐車場所から阪本町交差点に向け、ゆっくりと発進するのが見えたのです。」となっていて、C子が被告人車を目撃してから同車発進までの時間経過については触れていないのであり(なお、当審証人Dは、C子は、被告人車を見てしばらくしてから、あるいはB車が停止する寸前に被告人車が動き出したとの趣旨で右供述をしたのであると供述する。)、その他同人及びBの供述をみても、前記のとおり同人らは、一旦被告人車を目撃した後、同車の動静に特段注意を払わなかったと認める方が自然であるから、原判決が述べるように、被告人車が、B及びC子が目撃してから間なしに発進したものと認めるのは正当でない。確かに、被告人車がB及びC子が目撃した直後に発進したとするならば、原判決が計算するように、Bが被告人車を見てから交差点手前で一旦停止し発進するまでの時間と、被告人車が交差点に達するまでの時間に矛盾を生じることになるが、その前提事実が証拠上認められず、Bらが目撃してから被告人車の発進まで時間経過があった可能性がある以上、右矛盾は生じることがないのであるから、この点の原判決の説示も首肯することができない。

5  以上要するに、B及びC子は、意識的に、あるいは記憶の減退、記憶違い等によって無意識的に、事実に反する証言をしたという可能性は証拠上うかがうことができず、両名の供述の証明力はきわめて高いといわなければならない。

三  Aの供述の信用性

1  Aは、原審証人として、本件事故の状況につき、「ダイハツミラのオートマチック車を運転して時速約五〇キロメートルで南東方向から本件交差点に向かって走っていたところ、交差点の約一五〇メートル手前の辺りで対面信号を見ると赤色になっていたので、アクセルをゆるめて交差点の四〇メートル位手前で時速一五キロか二〇キロメートル位にまで減速し、二〇メートルか二五メートル位手前まで近づいたときに、対面信号が赤色から青色に変ったので、アクセルを目一杯踏み込み、時速三五キロか四〇キロメートルにまでスピードを上げて交差点に進入しようとしたところ、左側からランドクルーザー(被告人車)が出て来たのに気付いて急ブレーキをかけたが、交差点の中で同車と衝突した。」と証言する。同人は、その検察官調書及び警察官調書でも右と同旨の供述をしたほか、当審で取り調べた証人Dの公判供述及び平成五年一月一八日付け実況見分調書(原審で一部が取り調べられたもの)によれば、事故直後搬送された病院においても、警察官に対し、信号が青に変ったので交差点に進入しようとしたと述べ、前同日なされた警察官の実況見分の立会人としても、その後の供述と同旨の指示説明をしたことが認められる。

2  Aは、本件の被害者とされているものであるが、本件交差点の事故当時の信号機の状況が被告人供述のとおりであるならば、逆に自身が罪責を問われる立場にあるから、その供述の証明力に一定の限界があることは否めない。しかし、右のとおりAの供述は一貫しており、供述内容自体特に不自然な点がみられないうえ、前記B及びC子の供述ともよく符合している。特に、原判決が、Aの証言に基づいて対面信号が青色に変ってから衝突するまでの時間を約三秒と計算し、B及びC子の供述と矛盾しないとしている点、並びに、Aは、前記のとおり、対面の赤信号を見て一旦減速したと供述しているところ、これは、信号待ちで停止しているときにA車を見たが、止まっていたか走っていたか分からなかったとのBの証言と符合していると考えられる点は、重要である。なお、原審弁護人が、衝突後の被告人車及びA車の停止位置等をもとに、A車が時速七〇キロメートルを越える速度で交差点に進入したと主張したのに対し、原判決がA車のスリップ痕の状況等を根拠にして排斥したのも正当と認められる。

3  以上のように、原判決は、Aの供述に一応不合理な点はないと述べながらも、なお事故後の信号の確認状況を中心にして解消し得ない疑問点が存する旨述べる。

すなわち、A車は、前記認定のとおり、事故後車首を右に振って北方向に向けた状態で停止したのであるが、事故後の信号の確認状況に関するAの供述内容をみると、同人は、平成五年一月一八日付け警察官調書では、「停止後すぐに車から降りて、何げなく進行してきた道路の対面信号である交差点北西にある信号(原判決別紙1の甲2の信号)を見ると青色だった。」と供述しながら、同年八月一七日付け検察官調書では、「衝突後車から出て、自分の車が北向きに停止したことに気付かず、真正面の北東の信号(前記別紙1の乙信号)を見ると赤色だったので、『おかしいな、俺は青で突っ込んだはずやのに』と思い、付近から近づいて来た男か女の人に『どないなったん』と聞くと、『兄ちゃんは、軽四であっちから来たんやで』と河内長野の方から来たと教えられ、走って来た道路の対面信号(甲2信号)を見ると青色だったので、『やっぱり青やったなあ』と思った。」と供述し、原審公判においても、おおむね右検察官に対するのと同旨の証言をするが、「甲2信号は見たと思うが、自信はない。」とも述べている。

そして、原判決は、以上のようなAの供述内容をもとにして、(1)同人の供述は警察官に対するのと検察官に対するのとくい違っており、原審の証言内容もあいまいである、(2)Aが交差点手前で青信号に変るのを確認したことに確信があったのならば、衝突後付近の人に信号はどうであったかと尋ねることは普通考えられないところ、Bの、「『どないなったん』と聞くAに、河内長野の方から来て衝突したと教えてやると、『信号青やった』と聞かれたので『そうやで』と答えたところ、Aは、『ほんまに、会社に電話せないかん』と言った。」との原審証言によると、実際はAは信号表示を見ておらず、Bに教えてもらって初めて分かった可能性がある、(3)仮にAが、その供述する状況で甲2信号を確認したとしても、同信号が青色に変ってからBとの前記問答があり信号を確認するまで青信号の時間が経過し終わった可能性が高いから、Aが確認した信号が青色を示していたか問題である、(4)Aの供述によれば、同人は前方を注視して進行していたはずであるのに、対向してきたB車にまったく気が付かなかったというのは理解し難い、などと種々の疑問点を挙げ、Aがその供述のとおり対面青信号を確認して交差点に進入したのか疑問が生じる、としている。

しかしながら、右(1)及び(2)については、A及びC子の原審証言、Aの検察官調書並びに医師鹿島洋一作成の診断書等によれば、Aは、衝突の衝撃でフロントガラスに頭を打ち付けて、額から血を流したまま車外に出てきたもので、同人が述べるように頭がぼうっとした状態にあったと認められるから、事故直後の状況を冷静に認識できずに自己の行動等についての記憶自体があいまいになって、その後の供述が不明確あるいは前後矛盾するものとなったとしても、別段異とするに当たらない。また、右の状況からすれば、Aとして、青信号で交差点に入ったとの衝突直前の記憶は残ったものの、衝突直後の現場においては、車首の方向が変ったこともあって、自己の来た方向さえ分からないほど一時的に意識に混乱を生じ、最初に目に入った赤色の信号を自車の対面信号と錯覚したことから、ますます訳が分からなくなって、Bに対し、自己の進行方向を聞いたり信号の表示がどうだったかを聞いたとしても、その言動をもって不自然なこととは考えられない。右の点に関する原判決の説示は納得し難く、Aの事故前の状況についての供述の信用性を否定することはできない。また、(3)については、確かにBの原審証言によれば、同人は、事故後降車し、まず被告人車の方に歩いて行って「大丈夫か」と声をかけて様子を見た後、少し間をおいてAが車から降りて歩いてきたので、駆け寄って「大丈夫か」と声をかけ、それからAに「どないなったん」と聞かれて前記会話があって、Bが甲2信号を見たという順序になるから、その間に同信号の青信号の時間三六秒(原判決が三二秒としているのは誤り)は終わった可能性が高いとは考えられるが、右の経過からすれば、Aの事故後見た対面甲2の青信号は、事故時の青信号の一サイクル後のものであった可能性もあると考えられるから、原判決指摘の点をもってAの供述の信用性を減殺することはできない。さらに(4)については、信号機により交通整理の行われている交差点に接近しつつあったAとしては、前記Bの場合と同様、対面信号の表示には十分注意を払いその点の記憶は残っていたとしても、対向車の動静については特に注意せず、たとえ見たとしても記憶に残らないことがあり得ると考えられるから、この点もAの供述の信用性を否定する理由にはならない。

4  以上原判決がAの供述に関する疑問点として挙げた諸点はいずれも納得し難く、同人の供述は十分信用できるというべきである。

四  被告人の供述の信用性

1  被告人の検察官調書、警察官調書、原審公判供述に前掲平成五年一月一八日付け実況見分調書における指示説明を合せて被告人の述べる事故状況を挙げると、「南東方向から府道を本件交差点に向けて進行してきて、小便がしたくなり交差点で左折し、道路突き当たりで転回してから道路右側の右実況見分調書添付現場見取図(原判決別紙1と同じ)<1>地点で停止した。小便をした後、発進しようとして交差点の対面信号(同見取図乙)を見ると青色で、このとき左方道路から早めの速度で普通乗用自動車(B車)が同見取図A点を進行してくるのが見えたので、左手を見ながら発進し、時速約二〇キロメートルで交差点手前の停止線を越え、横断歩道付近の<2>地点(<1>地点から約一九メートル進んだ地点)まで来たとき、対面の乙信号が黄色に変り、Bの車が停止線手前のB地点(A地点との距離は約一〇〇メートル)で停止し、もしくは止まるか止まらないかの状態になったので、その方に視線を向けながら同速度で交差点内に進入したところ、右方からA車が来たのに気付くと同時くらいに交差点内の<4>地点(<2>から<4>まで約五・二メートル)で同車と衝突した。」というのである。

2  右被告人の供述内容自体は、原判決が述べるように捜査段階からほぼ一貫し、自己矛盾や不合理な点がなく、現場の道路状況とも合致していて、自然であるということもできる。ただ、被告人は、現場を本件事故まで何回も通ったことがあり、現場の道路や交通の状況を熟知していたと思われるから、その供述が道路状況等と合致しているからといって、直ちに信用性があるとはいえないことは当然であるうえ、何よりも、被告人もAと同様、本件の当事者であるから、前記のとおり客観的第三者であるB及びC子の供述の証明力とは自ずと隔たりがあることは認めなければならない。

3  原判決は、その他被告人の供述が虚偽とはいえないとする理由として、(1)被告人車の交差道路は、被告人車の進行してきた道路よりはるかに車の通行量が多いうえ、右方道路の見通しがきわめて悪いから、そのような道路状況であるのに、被告人が赤信号を無視あるいは確認しないで交差点に進入することは通常あり得ない、(2)被告人が自己の責任を回避しようとするならば、単純に青信号で交差点に進入したというのが普通であるのに、被告人は、交差点進入直前黄色信号に変ったと不利益な供述をしている、(3)しかも、病院カルテ写しによると、被告人は、その供述を事故直後病院に収容されたときから述べている、などの諸点を挙げている。

しかし、右(1)については、確かに被告人車が交差しようとする道路は、被告人車の進路から見て右方の見通しが悪く、昼間は交通量がかなり多い幹線道路とはうかがえるものの、前掲平成四年一二月二四日付け実況見分調書によると、本件事故直後の午前一時四五分ころにおける交差道路の自動車の交通量は五分間で一〇台であり、深夜の交通状況は閑散といってよいほどであったと認められるから、被告人において、交通閑散であったのに気を許し、Bらの供述により認められるように被告人車の対面信号が赤色に変った直後で、全赤表示の時間があることから、赤信号を無視して交差点に進入した可能性は十分あり得ると考えられる。また、(2)については、交差点進入直前黄色信号に変ったとの供述は、必ずしも直ちに被告人に不利益な供述とはいえないのみならず、それだけでは、被告人の供述を信用する理由として十分とはいえない。さらに、(3)については、なるほど原判決の指摘する甲野会病院の診療録(カルテ)写し中の看護記録には、「停止をしていて青になり前進、交差点で黄にシグナルが変ったが進行、その時右側より軽四が右ドアの所に突きあたり……」との記載はあるものの、被告人自身、原審及び当審公判廷において、信号のことを医者や看護婦に話した記憶がないと供述しているうえ、右看護記録そのものに聴取者として「父」との記載があり、病院に駆け付けて事故の状況を知った被告人の父から聴取された結果である可能性がうかがえるから、被告人は、当審証人Dの証言等により認められるように、事故直後から対面信号は青だったと概括的には主張していたものの、それ以上警察官や病院の者に対し、前記のような詳しい供述はしていなかったと認めるのが相当である。

4  以上によれば、被告人の供述は、それ自体において特に信用性があるとは認められない。

五  まとめ

以上を総合すると、被告人の供述にもかかわらず、特に信用性の高いB及びC子の原審証言によると、被告人車が赤信号で本件交差点に進入した事実は十分認められ、その他原審で取り調べた各証拠をも合せると、本件公訴事実は証明十分であるといわなければならない。原判決が掲げる右両名及びA供述の疑問点は、前述のとおりいずれも失当であるか右事実認定を左右するものではない。そうすると、原判決には、被告人が赤色信号に従うことなく本件交差点に進入した過失を認めなかった点において事実の誤認があり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よって、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書に従い更に次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

前記公訴事実のとおりであるから、これを引用する。

(証拠の標目)《略》

(法令の適用)

被告人の判示所為は平成七年法律第九一号附則二条一項により同法による改正前の刑法二一一条前段に該当するので、所定刑中禁錮刑を選択して、その所定刑期の範囲内で処断すべきところ、本件が被告人の一方的過失による事故であること、にもかかわらず、被告人が原審以来事実を否認して、必ずしも反省しているとはいい難いこと、被害者との示談が成立していないことなどによると、犯情には軽視できないものがあるが、さいわい被害者の傷害の程度が重傷とはいえないこと、本件の事故態様が明らかになれば、被告人車の強制保険及び任意保険により被害者に正当な損害賠償が支払われる見込みがあること、被告人に前科がないことなどをも考慮して、被告人を禁錮六月に処することとし、前記改正前の刑法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、原審及び当審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項本文により全部被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 青野 平 裁判官 清田 賢)

裁判官 重村和男は退官のため署名押印することができない。

(裁判長裁判官 青野 平)

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